日本の宗教


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注意:このページは筆者の個人的視点からの記述です。間違いがあるかもしれません。
おかしいな?と感じたら自分で調べてみてください。

このページでは私の視点からの日本の宗教について書いていきたいと思います。

このページを読んでいただいて学校では教えない日本の宗教とはなんだろう?と疑問を持っていただければ幸いです。 

平成30年1月18日加筆中。


日本に住んでいる人々は宗教に無関心かもしれません。でも決して無宗教ではありません。

あまりにも日々の生活や活動の隅々まで自然に古代からの宗教の習慣や生き方が
浸透していてそれが宗教から派生している事がわからなくなっているのです。

おはようございます、ありがとう、いただきます、ごちそうさま、
こんな普通の言葉でさえ大元は宗教の教えからきています。

学校や職場などでの、掃除、かたづけ、部やサークル活動、給食、仕事のあとの飲み会、
これらも大元は宗教の教えからきています。

一神教について,,,,,ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの宗教です。
強烈な教義(ドグマ)があり、唯一絶対一つの神と「契約」します。
他の唯一絶対一つの神を排斥し攻撃し戦争の原因の一つです。

多神教について.....単独一つの宗教で複数の神々.....
例えばヒンズー教やギリシャの神々や古代ヨーロッパの自然崇拝信仰。

でも日本では、、、多神教と言えますがちょっと違う多神教です。
複数の宗教で複数の神々です。ケンカしません。みんな仲良しです。

日本で住んでいて日本の多神教とは複数の宗派と複数の神々と感じるのです。
日本の宗教は古代から他の宗派や神様にやさしく寛容で仲良く過ごそうとしています。

 我々は常に神(神々)を感じます。仏教でいう仏さんも神々の中の一つと感じます。
また神々の多くはもう一方他方の神を攻撃したりはしません。

今となっては、日本の宗教は、いつも常にそこにある存在。空気のような感じです。
 
唯一絶対の一つの神(God)をいつも常に意識しなければならない海外の宗教。

これに対して日本の宗教は、、、意識しなくても常にそこにある神々。

意識はしないんだけどそこにある事を感じる神々。空気みたいな存在。

日本に住んでいる人たちは宗教を感じて生きているんです。

日本神道:自然崇拝・自然信仰

神さまは人に対して何も一切説く事はしません。

偶像はありません。

 


神道は日本の古代からの民族宗教で多神教です。


神道の神社には鳥居があります。 


日本の神道には多く種類の違った神社があって色々違った神々を祭ってあります。
しかし、だいたい一様に鳥居があって、結界をしめしています。

古代の神道では鳥居も神社もありませんでした。
神々の多くは自然そのもので大きな山だったり、岩だったり滝や川、湖や生き物だったりします。 

紀元六世紀頃に仏教が伝来してきて、ぶっきょうには建物(お寺)があったのでこれにならって
日本神道も建物、神社や鳥居を持つようになりました。

六世紀頃は日本神道とか仏教とかの分け隔ては無く、仏教で言うところの仏さまは
神道で言う所の神さん的な意識で捉えられていたと考えられます。

なぜならば、「悟り」をえることができればその人は「仏陀」となり八百万の神々のいる神道の
多神教に近い考えがあったからです。

神道に偶像崇拝はありません。古代から今現在に至っても神道は偶像はありません。
ユダヤ教やドイツの古代自然宗教なども偶像はもっていません。

ユダヤ教の人々は神道に偶像崇拝がない事で非常な親近感を持っていてくれています。 

仏教には今では仏像があります。しかし仏教創立当初(紀元前5世紀)から紀元前1世紀頃まで
は仏像はありませんでした。悟りを得て仏陀となった釈迦がこういったのです。「偶像つくるべからず」と。
でも釈迦が死んでから500年くらいたった頃には仏陀となった釈迦の像(偶像)が作られるようになりました。
この時すでに仏教というのは10数いくつの宗派があり、この中の一派がヒマラヤ山脈、ゴビ砂漠、中国大陸、
朝鮮半島などを経て紀元6世紀頃に日本に到着したわけです。仏教が創立されたから約1000年もかかって
日本にたどり着いたわけです。

この間に二度の翻訳と編集が加わり原始仏教とはだいぶ解釈が違ってきています。

日本神道は古代から日本にある民族宗教で日本にしかありません。
日本神道は自然に非常に密接に関係しており、創造、とか、発現、とか、
何か新しく生まれる始まる新しく物ができる、といったことに関係しています。

例えば赤ちゃんが生まれた時、お宮参りは神社です。
家やビルを建てるとき、神主さんを呼んでお払いお清めしてもらいます。 

このお清めも神道では大切な事です。
あなたに「穢れ」があってはいけません。神様に対する時にはあなたは「清らか」でなくてはなりません。
そのために「お清め」が必要です。「穢れ」ていても「お清め」する事であなたは「清らか」になります。

なので神社の入り口の前には「手水」(ちょうず)があります。
手水で手を洗い、口の中をすすぐ事であなたは清められ「清らか」な存在として神に対することができるのです。

 (このような作法はギリシャ宗教や古代ヨーロッパの自然崇拝、多神教の中に多くみられる作法です。)

神道には800万以上の神々がいます。
でもキリスト教には唯一絶対一つの「GOD」だけしかいません。

日本に最初にやってきたキリスト教の宣教師達が「ゼウスの神」と言っていたのですが
地元の人々は八百万の神さんらの一人だろう、と勘違いして、「神」=「GOD」と誤訳されてしまいました。

我々日本人の日本神道でいう「神」と、キリスト教の「GOD」は全く異なる存在です。完璧に違います。
唯一一神教の絶対神が「GOD」です。

       
 
神道の神域は非常に神聖で清らかなところで汚してはいけません。
ペットを連れて神域を歩き回るなんて最低な出来事です。
必ずや「バチ」や「たたり」がその人にいずれふりかかります。


また、神道の神々は民衆に対して一切何もいいません。
我々はお祈りするだけです。神々は一切何も言わずそこに存在しつづけます。

政治と結託した、政治に使われた宗教は民衆に対してあれやこれや言ってきます。
「天国や極楽に行きたければこの教えを守らなければなりません。」

まあ新興宗教も似たようなものです。
「幸せになりたければこのお札を買え、仏像を買え、ツボを買え、どこそこへ寄付しろ、云々」

神道には偶像崇拝は絶対ありません。
神道の神々の姿は見えません。

我々の天皇はこの日本神道の神職の最高位の人でもあります。
我々の天皇は日々我々の安寧と平和の為に祈念されています。
だからこそ日本の天皇は2600年以上も歴史を重ねているのです。

日本仏教:基本的に人に生き方を説いています。   

 

仏教は紀元前5世紀頃に人である釈迦国(今のバングラディッシュ辺り)の王子、ゴーダマシッタルダによって
創立され、多民族が信仰する世界宗教です。

 

 

 

これら3枚の写真は「仏足石」と呼ばれるものです。
釈迦が悟り得て仏陀となり、死んでいく(入滅する)時に「私の偶像を作ってはいけない」と言葉を残したそうです。
 で、人々は像を作る事が出来なくなったので、あたかもそこに仏陀が立っているかの如くをイメージするために
写真のような「仏足石」を作ったわけです。奈良、薬師寺の仏足石が国宝なのはこんな理由からです。

   
紀元6世紀頃に仏教が日本に伝来してきました。
もうこの頃には非常にたくさんの偶像(仏像)があっちこっちで作られていました。



釈迦が死んでから400年くらい経った頃にもう既に人々は釈迦、仏陀をイメージできませんでした。
伝わっている話を聞けば「仏陀は光り輝いていたそうだ」、というばかりです。で、人々は光輝く人をイメージしてキンピカに光輝く仏像をつくったのです。で、キンピカに光り輝く人を「金人」と言いました。

この仏像「金人」が設置される建物(お寺)のことを「金堂」というのです。


インドで創立されて1100年、ヒマラヤ山脈、ゴビ砂漠、中国大陸、朝鮮半島、陸路経由で日本に伝わりました。 
二度にわたる翻訳と編集。オリジナルとはだいぶかわっているはずです。





仏教には大きく分けて2種類あります。

一つは釈迦仏教で紀元前5世紀のものです。
もう一つは阿弥陀仏教で紀元1世紀頃のものです。

悟りを得て仏陀となった釈迦はこの阿弥陀仏教なるものを全く知りえません。
500年後の弟子達が考え出したものです。

 
釈迦仏教は如何に悟りを得るか?。であり
阿弥陀仏教は如何に民衆を救済するか?です。

日本の仏教は概ね阿弥陀仏教です。

原始仏教から非常に多くの改変、編集が加えられています。
日本のお坊さんは妻帯し、家など資産の保有が自由ですが他の国の仏教では考えられない事です。


現在、日本には大きくわけて13の仏教の宗派があります。
宗派といっても一つの学問の中の学派といったような感じの別け方です。
奈良時代の僧侶は6宗兼学または8宗兼学といって多くの宗派を勉強する必要がありました。

またそれぞれの宗派の中にさらに宗派が存在しています。

下記は大きく分けた13の宗派です。
13宗派の判りやすい説明その1。)+(13宗派のわかりやすい説明その2.)



概ね仏教は人の生き方を説いています。
人の生き方を説くようにして如何に悟りを得るか?といったような事を述べています。

人はどやって生きるべきか?そして仏教では人は死んだらどうなるか?
を説く過程で極楽や地獄のお話が出てきます。

そして仏教では、各宗派によって少しづつは違いますが
「人はこう生きるべきだ。」と説くわけです。

(神道は人に一切ものを言いません。人が何か間違った事をすると雷当てたりバチを与えるだけです。)


下記が一番簡単に極楽浄土へ行ける念仏です。
浄土宗とか浄土真宗の宗派です。生きている間に人は悟りを得る事は出来ない!と言っています。
あの世、極楽浄土へ行って阿弥陀さまの元で悟りを得ましょう、といっています。


死ぬ前に心の底から「ナムアミダブツ」と念仏を唱えると極楽浄土へいけます。
極楽浄土で、既に悟りを得ている阿弥陀仏さまに帰依して(南無して)、仏法を教えてもらって
極楽浄土で悟りを得るのです。
 

紀元6世紀頃に仏教が日本に伝来してきました。ただ単に宗教の仏教だけではなく
農業や工業、医療に文化など多彩の知識と情報をもたらしました。

また当時の政府はこの仏教の教え、仕組みを統治の手法として採用しました。
宗教に寛容な(別に言えばあいまいな)日本のなかでは仏教以前の色んな宗教が
仏教みたいに姿を変えて混合していきました。

禅は日本では一番新しい仏教で12世紀頃に日本に伝来してきました。
現在では大きくわけて13宗派あります。

禅は座禅して瞑想する事も大事ですが日々の正しい生き方の実践も大切な事です。
他の仏教では「生き方」を考えることが大事なようですが禅では日々の生き方そのものが定義
され、マニュアル化されています。朝、起きる作法、ご飯を食べる作法、掃除の作法、色んな作法が
あって正しく実践、行動することが求められます。

このマニュアル化が当時日本に台頭してきた武士集団にマッチしました。
武家の菩提寺が概ね禅宗派なのにはこのような理由があります。

また武士は戦場でいつ死んでも良いように背中などに仏様の刺青をしていました。
戦がなくなると仏様の変わりに桜吹雪の刺青をいれた武士(遠山金四郎)なんかがでてきました。

チンピラヤクザはこれを真似しているだけです。意味もわからず刺青いれるのは考えものです。
概ね刺青の中に含まれている金属によって遠い将来にガンになって死亡します。痛くて苦しいです。



補足事項:**********

その1.

さて、あなたは既に多くの仏教寺院や仏像を見たと思います。
しかし、その中にはかつては仏教ではなかった宗教もあります。
その一つが景教です。

日本に持ち込まれる前には中国にありました。景教がその一例です。
お寺の建物もお坊さんの格好も他の仏教と同じ姿をしていました。
しかし実際は、キリスト教ネストリウス派だった例もあります。

太秦景教流行中国碑


日本国内では景教のお寺は.


と呼ばれていた時代もあります。時が経ち広隆寺となっています。
しかし寺の領地だった地名はそのまま残りいまでは太秦うずまさと呼ばれています。
 


広隆寺の中に博物館がありますが非常に強くメソポタミアを感じます。

また仏教の宗派の中で真言宗(密教)がありますがヨーロッパの研究者の中にはこの真言宗が
キリスト教ネストリウス派からでていると言う人もいます。
 



ここで言いたいのは、現在の日本の仏教は神道以外の古代からの天国や極楽を説く
いろんな宗教が混ざって混合して、今の仏教のスタイルになっている、という事です。



その2.新興宗教

明治以降に非常に多くの新興宗教が生まれました。
大半は大本教という新興宗教から派生分派したものでなんやかんや本当にたくさんあります。
信じるのも構いませんがほどほどに、中庸の心で接してください。
お金を要求するようなら???な嘘っぱち詐欺です。

寺:   


寺という漢字を書いて、”じ”と”てら”の二通りの読み方があります。
違いは何でしょう?
.



”じ”と発音する所、金閣寺、天竜寺などは国家予算で作られた寺院です。

”てら”発音する所、壬生寺、南蛮寺などは一般民衆で集めた金銭で作られたお寺です。


何々院というお寺は、まあ釜戸が3−5つくらいのお寺の事で少人数のお坊さん達で生活していた所です。

何々庵というお寺は、まあ釜戸が1−2つくらいのお寺の事で1人くらいのお坊さんで生活していた所です。

 

お寺の名前:     


金閣寺は略称または通称。鹿苑寺が正式名称。

銀閣寺は略称または通称。慈照寺が正式名称。

拝観料:    

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 お寺や神社は全て独立自営の宗教法人です。ご飯を食べたり建物を維持管理するのに費用がかかります。
日本国は援助しません。

観音信仰:

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 現在の日本では仏教の中に溶け込んでしまっている観音さま。

現世利益をかなえてくれる唯一の宗教です。

神道も仏教もキリスト教などは一切の現世利益を与えません。

 インドのヒンズー教やバラモン教やシバ神に非常に密接に関係していると私は見てています。


観音さまは33の姿に変化して民衆を救います。

西国(東国)三十三ヶ所観音霊場めぐりや三十三間堂の三十三もこれが由来です。
インドにあった色んな古代宗教の神さまを引き連れています。(日本に来てごちゃまぜになった?)

観音さまは極楽浄土の事は何も言っていません。(釈迦の説いた仏教とはかけ離れている)
 
これは私の個人的視点ですが、、、
ヒンズー教やバラモン教などのインド南部の土着宗教は釈迦仏教よりも相当早く(たぶん紀元前)、
海路経由で、伝来していた。



インドの人と話した時のことなんですが、釈迦仏教が生まれた紀元前5世紀頃には
非常に多くの色んな宗教がインドにありました。

日本における大雑把な宗教の変遷    

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1.古代の人々、自然現象に恐れおののき、自然崇拝、自然信仰が始まる。日本神道の始まり。

2.海路を経て、紀元前に、シバ信仰が伝来し、観音信仰と日本で変化する。

3.陸路を経て、紀元6世紀頃に仏教が伝来する。

複数宗教の複数の神々の多神教となる。

修験道:      

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修験道は日本独自の山岳信仰宗教で神道、仏教、観音などが混合している。
山伏(山武士)であり、天狗さんでもあり、山々を使った独自の情報ネットワークを持っていた。
装束がユダヤ教の装束に似ている。

天皇: てんのう   本来は ”スメラミコト” と言う。

天皇とは王の中の王という意味である。  



現時点で今上天皇は第125代の天皇で世界最古の歴史を持つ。

今は、
西暦で2018年であるが、
皇紀では2678年である。

我々日本人が意味する”天皇”は英単語では”エンペラー、皇帝”と訳されているが意味合いがちょっと違う。

 

日本語の中では天皇と皇帝の意味には差異がある。
皇帝は成り上がりでなれるが天皇は成り上がりではなれない。

天皇には血統が必要。王(King)にも血統が必要。

また、皇帝には帝国があるが、天皇には無い。

将軍:    



将軍とは武士の頭領を言う。

将軍は政治と経済と軍事力を統御する。

将軍は今日では総理大臣がその任にあたる。

将軍は天皇からの勅によって正式になる。

総理大臣も同じ仕組み。




如何に将軍が力を持とうとも天皇にはなれない。


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